ようこそ、鳥飼農園へ!


農薬不使用

「身土不二」― 私たちの「体」と、それを作る「食」ひいては「土」は切り離せない、という教えです。体に入るものだから、安全・安心して食べられるように。農薬・化学肥料を使わずにコメ・野菜作りをしています。

旬のものを食卓に

...朝起きて外に出て、ラジオから流れるラジオ体操をして、家のそばの畑を見て回ります。今日のみそ汁の野菜はとか、サラダにとか、考えながらの収穫です。

 

自然を体験する

...植物をじっと見つめていると、見えていなかったモノが見えてきます。テントウムシやハチが飛び交い、カマキリがジッとねらいをつけているのです。わたし達人間にとって役に立つ「益虫」が、アブラムシや青ムシなどの「害虫」を食べてくれているのです。私も「テデトール」という万能の手段で始めます。見えていなかったモノが見えて来る瞬間が、うれしくなるのです。


仲間たち


愛甲典義さん (梨)

 信頼の従兄夫婦。豊水、秋月など、沢山の種類の梨を育てています。ジューシーで本当に美味しい。

西田さん (さといも)

 ...近所の彼は、野菜作りに造形が深く、教わることばかりです。らっきょうの栽培では球根が2の乗数で増える事をしりました。毎年サトイモを栽培しており、芋を洗い皮を剥いた商品となったモノをスーパーに出しています。こうすると、サトイモのぬめりが苦手な人も喜んでもらえているとの事です。


これまでの経緯


 私は1980年以来小学校教員をしてきました。最初の6年間は、通級制情緒障害児学級という日本で初めて開設されたところでの複数担任でした。ここで教員の基盤を過ごせたことで、以来全学年(1年生から6年生)を通じて生活に根ざした実践を行うことができました。そして40年後の2021年に退職し、実家のある熊本県の人吉球磨盆地に戻り、ここで米作りを引き継ごうとしています。

 私の子ども時代は、米作りを中心に、馬、牛、ヤギ、ニワトリを飼っていた時代がありました。今でいうSDGsの生活があり、それが普通だと染み付いていた私は、東京で過ごしていた杉並区の家では、生ごみを全てコンポストに入れ土を作ることをしてきました。猫の額ほどで日陰ばかりの庭ですが、30数年間の我が家の生ごみは、フキやミョウガが採れるほど、柔らかい土壌となっています。生ゴミや玄関前を掃いた落ち葉など、ゴミ集積所に一度も出してない事は、ささやかな私の自慢です。

 

 教員としては、自分の特技を活かしたいと狭い校庭でも野菜作りを体験する実践をめざしてきました。ダイコンを栽培してタクワンの漬け物を作ったり、味噌作りに挑戦し卒業祝いとしたり、ピーラーで渋柿の皮をむいて干し柿を作ったり、2畳ほどの田んぼを作りドロ遊びをした上で田植え、稲作りなどと思い出す事が出来ます。

 日曜日に保護者に呼びかけて親子遠足などを企画し、山梨県都留市の畑でのジャガイモ栽培や収穫体験、飯能市の農家での栗拾いや川遊び体験などを行ってきました。現在では想像も出来ないような保護者と密着した子育てができていたのです。

私なりの無農薬栽培実践

 私の小学校での栽培実践の折に、お世話になった畳屋さんがいます。畳屋さんから古ゴザをいただきサツマイモ栽培のマルチにしたり、畳を解体してワラを得たりと、いつも応援していただきました。教員新人の頃から40年間に及ぶ友人関係となっています。彼が山梨県八ヶ岳が見える山地に土地を求め、畑栽培を始めました。月に2〜3回通っての畑作業を15年間にわたって実験的に遊びがてらにやってきました。

 初めは開墾したばかりで、大きな石だらけの地面で雑草が生い茂る状態でしたのでカボチャをつくりました。それから毎年の積み重ね、土作りをして耕す中で、ワラビ、じゃがいも、ズッキーニ、大根、カブ、フダンソウなどたくさんの野菜の栽培をしてきました。カメムシや蛾の幼虫などもいましたが、ナナホシテントウ虫やカマキリなど益虫が住んでおり、農薬を使うということはしませんでした。混植すると野菜どうしが生き生きと育っているのを実感しておりました。

 

 私が学んだ大きなポイントは、冬に行う腐葉土つくりです。山に入り広葉樹の落ち葉を掻き集め、豆腐屋さんからいただいたたっぷりのオカラとサンドイッチ構造にして積み重ね、雨除けシートをかぶせて醗酵させ冬越しする作業をしてきました。また、夏は草刈りした土手の雑草や収穫後の残物を積み重ね、冬の腐葉土とかき混ぜることをし、2年後には土壌に漉き込むことをしてきました。 

いよいよ第二の人生として

 65歳で教員を退職しました。最後に担任した第五小学校3年1組の子たちとの日々は、全く満足し納得できる学級作り実践ができました。この満足感と、熊本で88歳となる高齢の両親への付き添っての介護(火傷を負った母親への対応が急務)という使命感とによって、2021年4月に熊本に帰りました。

 10年間も放置してきただけに、トラクターなどの農機具はメンテナンスが必要ですし、伸び放題の畑の草払いや家の周りの木々の剪定の作業もあったり、納屋の片づけも必要でした。両親の介護をしながらも、ようやく畑に出て種を蒔き、野菜を育て始めました。田んぼの稲作りも近所の指導してくださる原さんによって作業を始めることができました。

 生まれ故郷に帰ってきて「浦島太郎」的な気分に陥っていた私を、教員をやっていた経験から手伝ってほしいと地元の小学校の学童クラブの指導員をと声かけられました。これは、とても有り難いチャンスとなりました。地域の子どもたちと関わりから、保護者とも語り合えることで、町の情報も密となりました。すると、野菜栽培で米ぬかを使ったボカシによる実践を行なっている方と知り合うことができました。さらに除草剤(農薬)を使わないアイガモによる稲作りされているのを知りました。内に籠らず先人に教えを乞うことで、小さな世界が少し広がることを実感にしました。

 

 野菜栽培は、夏野菜(トマト、ナス、きゅうり、ニガウリなど)は成功したものの、秋野菜の葉物は蝶や蛾の幼虫に食害されたり病気に侵されたりと、情けなくなるほどでした。それでも芋類の収穫は出来ました。先人から指摘されたことは、堆肥を与え過ぎているのではないか、土壌をよく観察し、雑草を余り抜かずに混生した畑で良いんだと考えを発展させてはどうか、という事でした。

稲つくりを目指す

  2021年度の栽培したお米については、原さんの指示・演示をもとに、栽培の手順を教えて頂きながら実践しました。近所の原さんは、とても研究熱心で微生物を使って米作りを行っている方で、かつて私の父と共同で互いに高め合ってこられた方です。また私たちの住む「人吉・球磨盆地」は、特有の気候(一日の寒暖の差が大きいこと)<夏の昼間は暑く、夕方から涼しくなる>や、山から染み出てきた水の良さから、米作りの適地と言われています。

  

  お米の銘柄は「ヒノヒカリ」という品種で、田植えをおそくにし、水の管理を丁寧に実施しており、田の土地の質の良さなどから毎年豊作に近い出来があります。父が50年間行なってきた土壌つくりで、他所の田んぼのお米に比べると美味しいと言われる自慢のお米です。  

  

  私は、ここ代々の田んぼで米作りを行っていきます。目指すのは「農薬を使わずアイガモを使った稲つくり」です。アイガモを田んぼで飼育することで、除草剤(農薬)や化学肥料を使う必要のない有機農法技術の修得に挑戦し、私を見守り応援して下さる方々へ、このお米を届けたいと考えました。